古墳四方山話
1.おのPの古墳コラム「ゴーマンかましてよかですか?」
2.ヤマポンの古墳雑感「古墳探訪の計画と実践」
3.M谷エッセイ「ゴマヒゲアザラシのつぶやき」

おのPの古墳コラム「ゴーマンかましてよかですか?」目次
@古墳との出会い 02.7/4
A古墳のランク付け方法 02.7/4
・細かいランク分け説明
B古墳の形態別分類について 02.7/4
C古墳ベスト5 02.9/11
D古墳ワースト3 02.12/3
E古墳に群がる動物たち 03.2/20
F珍墳5選 03.2/24
G石室ベスト5 03.5/6


@古墳との出会い 02.7/4

古墳・・・それは古代への夢見るロマン・・・わしが古墳に興味を持ち始めたのは2001年の夏、本格的に暑くなってきた7月のことであった。

佐野市/十二天塚古墳その日わしは友人の山本氏に頼まれて、彼の自宅(栃木県足利市)にパソコンの不具合を直しに出かけたのであるが、足利市に近い駅から彼の自宅に向かう途中、車の中からいくつかの古墳に遭遇したのである。運転していた山本氏はこともなげに「こんなものはこの近所にはいっぱいある」みたいなことを言っていたが、古墳なんぞまったく別世界のもんだと思っていたわしにとってはまさに未知との遭遇であった。

更に山本氏は「古墳に興味があるんなら、土器とかを見てみるのも面白いんじゃないか」などと言う。見てみたいというと彼は自宅の近くのチンケな畑に連れて行ってくれた。どうするのか見ていると彼はよそんちの畑にもかかわらずズンズン中に入っていく。そしてひょいと何かを拾い上げると「はい。」といってそれをわしに手渡してくれた。
それは縄目模様の入った縄文式の土器の破片であった。更にわしは衝撃を受けた。「土器ってこんなにアッサリ手に入るもんなの!?」

今まで持っていた土器に対するイメージというのは、なんかこう、考古学者とかがいて、大がかりな人数で地面を掘って発掘するものだと思っていたのに、こんなに簡単に地面の上に落ちているなんて・・・まさに驚きの連続であった。

その日のメインは山本氏のパソコンの修理だったので、その日は古墳関連のことはそこまでであったが、夜自宅に帰ってからも古墳に対する思いはつのるばかり・・・おもわず次の日近くの図書館に行って古墳関係の本を借りてきてしまいました。

とりあえずその本を頼りに、東京近郊でわりと有名で交通の便がよさそうな古墳を探してみると、出てきたのが埼玉県行田市にある「さきたま古墳群」。古墳に詳しい方なら説明の必要も無いくらい有名な古墳群であるが、当時(といってもまだ去年のことだけど)のウブなわしにとってはどういう古墳なのかサッパリ分からない。とにかくわりと簡単に行けそうだし、なにより古墳の数がいっぱいあってなんか「お得感」みたいなものを感じたのでさっそく次の休みの日に見物にいくことに。・・・そしてそこからズブズブと古墳の世界に引き込まれていくことになったのである。

A古墳のランク付け方法 02.7/4

わしは実際に見た古墳についてランク付けを行うことにしている。どういう基準でランク付けを行うかであるが、まずその古墳の歴史的価値とか年代とかゆーものは、まったくカンケーない。
わし独自の美的センスによって決めるのであるが、ランク上位の条件としては、「見た目の美しさ」「実際に古墳に登れるか」、「石室があるか」などが挙げられる。

まず見た目の美しさであるが、これは古墳の形が崩れてなく適度に草が刈られているのがベストである。また頂上に小さな祠や石版があったり、なんだかよくわからない木が1本ひょろっと生えているのも趣があってよい。
逆によくないのは神社やお寺の土台部分とかになったりして、古墳だかなんだかよく見ないとわかんないヤツである。あと草ボウボウなのも登るのが大変だからダメである。

次に石室があるかであるが、これも重要な要素である。古墳マニア(わしら以外にいるのか?)ならわかると思うが、あの石室に入る時のドキドキ感というのは何度やってもたまらない。
実際に古墳に行って石室を見つけた時の喜び、柵なんてなくて勝手に入れる事がわかった時の興奮・・・でも石室に入った時に気をつけなくちゃならないことがある。それは「かまどうま」である。別名「便所こおろぎ」とも言うが、石室というのはなんかジメジメしているので、「かまどうま」が大量発生している場合が多い。しかも電気なんかついてなくて真っ暗な場合が多いから、いきなり踏んづけちゃう可能性も高い。

まだ古墳にハマり始めた初期の頃、石室に入って何気なく壁に手をついたら「ぶちゅっ」といやーな音がして「かまどうま」を手でつぶしてしまったことがあった。そん時ばかりは悲鳴をあげて石室を飛び出してしまったが、くれぐれも石室に入る時は懐中電灯を持って「かまどうま」が潜んでいないか注意する事が大事である。

古墳のランクであるが、わしは上から A+、A、A−、B+、B、B−、C+、C、C−の9段階に分けている。基本的の石室があれば無条件にAランク、そのAランクの中でも石室に入れて全体の形がきれいな古墳がA+である。
逆にCランクとゆーのは色々とダメな要素のある古墳であるが、その際たるものが近づくことすら出来ない古墳である。「古墳との出会い」で述べた「さきたま古墳群」には有名な古墳がたくさんあるが、そのほとんどが柵がしてあって登ることが出来ない。歴史的には価値ある古墳かもしれないが、わしの美的センスから見りゃありゃダメだ。
古墳というのは自分の足で登って頂上を制覇してこそ趣があるというのに・・・全く埼玉県の教育委員会はわかっとらんのお。


・細かいランク分け説明

A+ 石室あり。墳丘の形が美しく、余分な草木が生えていないこと。また石室に自由に入ることが出来ることが条件。
ただし形が美しいといっても復元された古墳はワンランク下げる。基本的に古墳は(わしの美的センスでは)作られた当時の状態がそのまま残っていればいるほど高評価となる。いわゆる骨董などの世界で言う"うぶ"な状態が良いのである。

A  石室あり。墳丘が多少崩れているが、まだ十分に美しいもの。これも石室に入れることが条件。

A− 石室はあるが、柵がしてあって入ることができないもの。または石室に入れるものの、古墳の形がかなり崩れているもの。もしくは草ボウボウで形がよくわからないもの。

B+ 石室なし。(これより以下は全て石室はなし) でも墳丘の形が美しいもの。

B  墳丘が多少崩れているが、まあ結構美しいもの。

B− 墳丘がかなり崩れているが、それでも遠くから見てもすぐ「これは古墳だ!」とわかるもの。

C+ 神社やお寺の土台となっていて詳しく見てみないと古墳だとわからないもの。ここでいう土台というのは、古墳の上に小さな祠がちょんと乗っているというようなカワイイものではなく、古墳そのものは小さいのにその上にで〜んとでっかいお寺とかが乗っているもの。結構よく見かけるが、いかにも古墳が苦しそう。きっと埋葬者は古代ではブイブイ言わせていた実力者だったろうに、まさか1500年後自分の墓が土台になるとは思いもよらなかったであろう。

C もうかなり崩れていて、古墳の一部分だけ残っているもの。あと形はキレイでも柵とかがしてあって近づく事ができないもの。観光地にある古墳とか私有地にある古墳がこのあたりのランクになる。
あと古墳公園などにある、現代において復元された古墳もこの評価となる。まあ、古墳が作られた当時はこんな外観だったんだなあ、とかいう参考にはなるけど、なんか複製品みたいでまったく「ワビ」とか「サビ」というものを感じない。

C− 完全に崩れていて、古墳だかなんだかよくわかんないもの。でもたまに葺石なんかがちょびっとだけ残っていて感傷的になることがある。そういう時は特別にワンランク上げる。

B古墳の形態別分類について 02.7/4

今回は古墳の形態別分類について少し述べたいと思う。

@神社・寺と一体型、もしくは土台タイプ

邑楽町/八王子大明神古墳(仮称)今残っている古墳で一番多いタイプがこの形である。
わしが古墳にハマる前、古墳なんてごくごく限られた場所にしかないもんだと思っていたのであるが、実は意識して探してみると意外なほどたくさんの古墳があちらこちらにあるものなのである。
ただその古墳の多くがこの神社・お寺と一体型タイプなので、古墳の特徴を知っていないと、そばで見てもマッタク古墳と気づかない場合が多い。

通常の神社・お寺と違う特徴は、まず神社だったら祠のある場所が、小山の頂上にあるところである。この場合その神社のあるところだけ小山のようになっていて、周りが平坦な場所だと更に古墳の可能性が高い。

次に実際に古墳に登ってみて、足で踏みしめた地面の感触が、いかにもただ土を積み重ねただけのやわらかい感じがしたらもう間違いない。これはこの神社・お寺タイプだけではなく、全ての古墳に共通のことであるが、古墳の小山というのは自然に出来た小山とは違って、古代の人がテキトー(まあ、作った人にとっちゃ重労働だっただろうけど)に土を積んでいるだけなので、地面を踏みしめるとかなりスカスカな感じがする。これは古墳かどうかを判別する時に重要な判断材料となるので、みなさんもぜひ覚えておいて欲しい。

みなさんの家の近くにも神社・お寺があると思うが、ぜひ一度詳しくご覧になって古墳かどうか確かめてみることをお勧めする。

A田んぼの中の浮島タイプ

足利市/おとか山古墳古墳の分類には山本氏の作った一覧表でも分かるように様々な種類があるが(といっても山本氏とわしが勝手に作った分類なので、考古学的見地とは全くカンケーないけど)わしが個人的にもっとも好きなのはこのタイプである。

このタイプは田んぼ(もしくは畑)のなかにひとつポツンとある姿が、なんか南の島の海に浮かぶ小さな島を連想させるのでこう呼ばれる。あと大抵古墳の頂上に木が数本生えている場合が多いので、それがなんだかマンガに出てくるようなヤシの木みたいな感じがしてそのイメージを更に強めている。

先に述べた神社・お寺と一体型タイプだと、いちおう神社・仏閣なので長い年月壊されずに残っているのはわかるけど、この田んぼの中の浮島タイプのように、ただそのままの姿で1500年もその場所に残っているのを見るといつも感嘆してしまう。あと周りに障害物がないので形がわかりやすく、遠くからでも発見しやすいというメリットもある。

まあ、飛鳥・奈良時代〜現代の農家の方にとっちゃきっと邪魔くさかっただろうけど、壊すとなんかこータタリでもありそうで、きっと出来なかったんでしょうなあ。そう考えると1500年しぶとく残っているということで、古墳のなかでは「根性」は一番ということになりますな。

B私有地型古墳

数ある古墳の分類の中でももっとも嫌い・・というか苦手なタイプはこの私有地型である。

だいたい私有地型は柵とかで囲ってあるので近づくことが出来ず、遠くから眺めるだけにとどまることが多いのであるが、たまに簡単に乗り越えられそうな柵で、しかも近くに人がいない場合がある。

わしなんか小心者なので、いくら人がいなくても勝手に人んちの敷地内に入ろうとは思わないが、同行する山本氏はヘーキで柵を乗り越えてズカズカと入っていく。仕方なくわしもおっかなビックリへっぴり腰でついていくが、そん時のドキドキ感たるやただごとではない。

まあ私有地内にある古墳には罪がないけど、このタイプの古墳だけはちょっと好きになれそうにない。

(注・誤解のないように断っておくが、それはあくまでも近くに民家がなくてどこの家に所属するのか解らないような雑木林の話で、そういう所にある柵っていうのはたいがいは家電ゴミだとか産業廃棄物の不法投棄対策として張ってある場合がほとんどであって、古墳を見るくらいでどうこう言われることはまずないということ。民家の近くにある私有地古墳の場合は、菓子折りこそ持参しないけど、ちゃんと近所の人に丁寧にご挨拶してから見学させてもらってるよ、俺は。by山本)

C古墳ベスト5 02.9/11

わしが古墳巡りに目覚めてから1年と少し経ったわけであるが、その短い期間の間にヤマポン氏と共に数多くの美墳・醜墳・珍墳に巡り会うことができた。今回はその中でわしが特に感動した古墳ベスト5と、失望した古墳ワースト5を発表してみたいと思う。

わしが選ぶ古墳ベスト5

第5位 中ノ峯古墳(群馬県子持村)
ヤマポン氏の言う真空パック古墳。まずなんといってもその形が美しい。誰しも思わず古墳上で相撲を取りたくなるようなきれいな土俵型・・・しかも火山の噴火時の軽石で埋まっていたため、古代の姿をほとんどそのまま現代に伝えている希少性・・・しかも小さいながらもちゃんと入れる石室つきという古墳マニアのツボを押さえた造り・・・とどれをとっても非の打ちどころのない古墳。
あとこれはこの中の峯古墳に限ったことではないが、古墳全体の姿がきれいに見渡せるというのが高評価につながる。古墳というのは大きければ大きいほど良いというものではなく、やっぱり障害物が無く、全体の形が一目でわかるものがわしの心を捕らえるのである。

第4位 八幡山古墳(埼玉県行田市)
いわゆる関東の石舞台。初めてここを訪れた時はあまりの大きさに相当な衝撃を受けた。こういう古墳の盛り土部分が完全に剥ぎ取られて中の石室部分がむき出しになっているのは少ないが、なんか恐竜の骨格標本を見ているような感じがして非常に面白い。しかもこの八幡山古墳の石室は他の古墳を圧倒する大きさと美しさである。
埼玉県行田市といえば例の「さきたま古墳群」が有名であるが、行田市には「さきたま古墳群」のほかにもこのように魅力ある古墳が数多く存在する・・・というより観光地化された復元くさい「さきたま古墳群」よりこっちの方がずっと面白い。この古墳ムーディーズをご覧になっている賢明な古墳ファンのみなさんには、行田市を訪れた際にはぜひこちらの古墳をご覧になることをお勧めする。

第3位 大室古墳群(群馬県前橋市)
この大室古墳群は古墳公園となっており、メインの前方後円墳が3基ある。(その他にも小さい古墳が少数あり)ここの古墳のすばらしさは、なんといっても大型の前方後円墳でありながらほとんど崩れなどなく本当にきれいな形を保っていることである。もちろん公園化にあたって多少の修復を行ったのであろうが、修復前の写真等を見ても昔からきれいな形のまま残っていたことがうかがわれる。行かれた方はご存じであろうが、まさに前方後円墳ここにあり!といったような堂々たる威風なのである。
この大室古墳群は群馬県にあるが、どうもわしとヤマポン氏の見るところ、この県の教育委員会は近県と比較して人々と古墳のふれあいを大切にしているような気がする。と、いうのは群馬県には数多くの古墳があるが、わしらが見た感じでは大体の古墳が結構整備されていて立て看板とかもちゃんとある。石室がある場合でも特に柵なんてせず、自由に入れるところが多い。
それに比べて人々を寄せ付けない排他的な県は埼玉県である。古墳の周りにロープなんか張っちゃっている「さきたま古墳群」は論外であるが、埼玉県にある古墳は石室があっても柵がしてあったりビニールシートが被さってあったりして、なかなか中に入れないものが多い。まったく古墳というものは実際に中にもぐり込んでこそ趣があるというのに・・・でもよく考えりゃ被葬者にとっちゃいい迷惑か?
ちなみに最近わしらがハマっている栃木県の古墳は立て看板すらない野ざらし古墳が多い。おそらく栃木の教育委員会のやる気がないか、予算がないのかどっちかだと思うが、わしら古墳マニアにとっては非常に都合がよい。こういう場所こそレア古墳の宝庫なのである。

第2位 市の沢古墳群(栃木県佐野市)
古墳巡りをしていて一番喜びを感じるのは、石室なんか期待していなかったのに思いがけず石室があった場合である。もちろん文献などで始めから石室があると分かっていて予定通り石室が見られる場合もそれなりに嬉しいのであるが、やっぱり意外性という点で見つけた時の興奮度が違う。
この感覚は例えてみれば・・・小学生の時に転校生が来ると聞かされて、どーせロクな奴は来やしねえとタカをくくっていたら、じつは転校生はめちゃかわいい女の子だったとゆーようなもんであろうか。
この市の沢古墳も、今年のお盆に筑豊の実家にも帰らずあまりにヒマだったのでヤマポン氏の家に遊びに行った時、ついでだからまだ行っていない近場の古墳をぶらっと見て回ろうということになって、佐野市の教育委員会でもらった遺跡地図で適当にアタリをつけて行ったのだが、まさかこのような極上古墳に巡り会うことなろうとは・・・これだから古墳巡りはやめられないのである。

第1位 十二天塚古墳(栃木県佐野市)
この古墳は非常に個人的な思い入れが強い。私事で恐縮だが、ヤマポン氏に連れられて初めて訪れた古墳がこの古墳なのである。
初めて近くで見た古墳の神秘的な美しさ・・・そして石室というものを初めて見た時の感動・・・しかも古墳表面をよく見るとなにげなく落ちているハニワ(か須恵器)のカケラを見つけたときの驚き(本当に今でも落ちている!)・・・どれをとっても思い出深い。まさにわしにとってはビギナーズラック的古墳というものであろう。
でも最近すぐ近くに市の沢古墳群を発見して、この古墳の感動がちょっと色あせてきちゃったけど。(笑)

古墳ワースト5についてはまた後日述べたいと思う。

D古墳ワースト3 02.12/3


全国約10人くらい(?)の古墳ファンのみなさま、お待たせいたしました。前回の古墳ベスト5に続いて古墳ワースト3の発表です。
前回は5つあったのに今回はなぜ3つしかないのかというと、決して5つも書くのがメンドくさかったからではなく、どんなショボくれた古墳にも五分の魂、なかなかいい味があって5つも思いつかなかったからです。さてそんな中でも箸にも棒にも引っかからなかった最悪古墳とは・・・・。

第3位 米山古墳(栃木県佐野市)
世の中に悪徳商法というものがある。宣伝だけは誇大であるが、中身が全く伴わない商法のことである。最近ではお金を貯めた御老人ばかりをねらうあくどい輩もいると聞く。
さて古墳の世界でも同様にこのような悪徳商法まがいの古墳が存在する。その代表格がこの米山古墳である。
まずこの米山古墳の説明看板を見て欲しい。ヤマポン氏も書いているがどう見ても北関東最大の前方後円墳というのは大ウソである。というか写真ではよくわからないけど、実際に登ってみると古墳というより、ただの小山のようにしか思えない。わしらのように古墳を数多く回っていると、足を踏みしめた土の感触からすぐに古墳かどうかわかるものであるが、この古墳(?)の土の堅さはどうみても普通の山である。もちろん看板に書かれているような石室などはいくら探しても見つからなかった。
まあ実際のところは自然の小山を利用した小規模な古墳なんだろうけど、それにしても北関東最大は大げさだ。しかも「史跡 米山古墳」なんていうすごい立派な石柱まで建っているし。そこまでこの古墳を持ち上げる「佐野ライオンズクラブ」の正体や如何に?

第2位 甲塚古墳(栃木県岩舟町)
この古墳には非常にヒヤリとさせられた。なんと墳頂に通じる道の入り口に誰かが野グソしていて、あやうくそのウンコを踏んづけそうになったのである。決して犬のウンコではない。その証拠にすぐ近くにチリ紙が散乱していたことからも人間のウンコに間違いないと思う。
恐らく付近を通りかかった人が、急な便意に耐えかねてついやっちゃったんだと思うけど、まさかその人はそこが古墳だったとは思いもよらなかったんでしょうなあ。この古墳は写真でもお分かりのように、夏場は特に草ボウボウで、近くでみてもただの小山にしか見えない。まあ古墳には罪はないけど、わしがあやうく大惨事に巻き込まれそうになったのでワースト入り決定。

第1位 叶花古墳(栃木県足利市)
わしとヤマポン氏はこれまで数多くの古墳を巡ってきたが、これほどひどい古墳は初めてである。まずこの古墳を見つけるのに相当苦労した。この古墳はヤマポン氏が足利市の市役所だったか教育委員会からもらってきた市内の遺跡地図をもとに行ったのであるが、地図に示された場所についても古墳らしきものはまったく見あたらない。さんざん歩き回って農作業をしていたジイさんに聞いたりしてようやくそれらしきものをみつけたけど、あまりにしょぼすぎてほんとうにそれが古墳のなれの果てなのか、あるいは古墳とは全然関係ないただの盛り土部分なのかいまだもって判然としない・・・・まったくもって消化不良な古墳であった。
しかもこの古墳は名前だけは立派ときている。叶姉妹の叶に、お花の花で叶花古墳である。なんか名前だけ聞くと、なんてステキな古墳!とか勘違いしそうではありませんか。
この日の古墳巡りはこの後で行った蔵王権現古墳の近くで車があぜ道のスロープにハマって立ち往生したりと散々な目にあって最悪なものとなってしまった。よってこの古墳をワースト1とする。

E古墳に群がる動物たち 03.2/20


古墳を巡っていると様々な動物たちに出会うことがある。今回はそれらについてつらつらと書いてみたいと思う。

・カマドウマ
天井に密集するカマドウマ毎度おなじみカマドウマである。先日(03.2/15)、栃木県真岡市の中村大塚古墳というところで久しぶりにカマドウマの大群と遭遇してしまった。この中村大塚古墳は、神社の社殿の裏の方、といういかにもジメジメしたところにあるが、もう石室に入る前からいやな予感バクハツであった。
しかしながら古墳巡りを1年半近くやっていると、いきなり天井からカマドウマが降ってくる!という最悪の状況を避けるためにそれなりの手順というものが出来てくるものなのである。
わしの場合、石室に入る前にまずペンライトで石室床部を入念にチェックする。これはカマドウマというよりヘビを警戒してのことであるが、幸いなことに今まで古墳を巡っていて石室内でヘビと遭遇!ということはなかった。しかし油断は禁物である。特に夏場はマムシに注意しなくてはならない。
さて次はいよいよ天井部をライトで照らしてカマドウマのチェックである。この時一回見てみて、目に見える部分にいないからといって安心してはいけない。カマドウマは石と石との間にもぐり込んでいることがよくあるのである。どこの古墳だったか忘れたけど、以前石室にカマドウマがいないと思って安心して入り、なにげなく石の隙間に目をやったところ、そこにもうみっちりカマドウマがつまっていたこどがあった。2〜3匹のカワイイものではない。いやもうビッシリと!
油断していただけに、あやうくチビリそうになった。
今回の中村大塚古墳ではヤマポン氏がかなり張り切っていて、カマドウマ写真の接写に成功したわけであるが、写真撮影中はもう薄氷を踏む思いであった。わしがペンライトで天井を照らし、ヤマポン氏がデジカメで撮ったのであるが、フラッシュを焚く度にカマドウマが怪しくさわさわと蠢く・・・・。
カマドウマはただ天井に張り付いているだけなので、ちょっとの衝撃で落ちそうである。おそらく1匹が落ちれば連鎖反応的にバサバサと落ちてくるであろう・・・もし頭の上にどさあっと落ちてくれば、3ヶ月は悪夢に悩まされそうである。幸いなことに撮影は無事終わり、1匹のカマドウマも落ちることはなかった。しかしながらこういうことは古墳に大分慣れた我々だからこそできる芸当であって、これから古墳を巡ってみよう!という初心者の方は、カマドウマ古墳だけは避けるようアドバイスしたい。

・古墳犬
古墳犬の親子古墳あるところに出現する犬、それが古墳犬である。定義は特にないけど、古墳にふらふらと現れた野良犬、古墳のすぐそばの家で飼われている犬、たまたま飼い主と散歩中であった犬、これすべて古墳犬である。まあとにかく、たまたま古墳に居合わせた犬が古墳犬なのである。むりやりだけど。
いままでの経験からいうと、古墳犬のなかでも野良犬タイプはだいたいどの犬も人なつっこい。こっちを見つけるとシッポを振って近寄ってくる。でもエサを持っていないことが分かるとちょっと残念そうな顔をする。
これと反対に人になつかないのは古墳のすぐそばの家で飼われている犬である。これはもう古墳に近づいただけでワンワンと吠えはじめる。古墳を探索中にも絶えることなくワンワン吠えまくるもんだから、うるさくてたまったもんじゃない。なんかこっちが不法侵入しているんじゃないかと勘違いされないかヒヤヒヤもんである。やっぱ犬の飼い主は、古墳マニアに対してだけは吠えないようしつけてほしいもんだ。無理か。(笑)

・モグラ
古墳巡りをしていて、時々見かけるのがモグラである。といっても見かけるのはモグラ本体というよりもモグラの掘った通り道がほとんどであるが。最近行った古墳の中では栃木県小山市の小山ゴルフクラブ内古墳群がモグラの穴と通り道だらけですごかった。
なんか古墳の土饅頭の中って他の地面とかよりもミミズみたいに食料になるものがいなさそうな気がするんだけど、それは素人考えであってもしかしてモグラには居心地がいいのであろうか?よく考えりゃ古墳の土ってやわらかくて掘り易そうだし、1500年分の腐葉土がたっぷり積み重なって肥えたミミズがいるのかもしれん。そのへんの古墳とモグラの関係を表した文献がないのでなんとも言えないが、専門家の方は研究してみるのもいいかもしれん。酒を飲みながらの与太話くらいにはなるだろう。あと一度だけ古墳のすぐそばでモグラの本体を見つけたことがある。といっても生きているモグラではなく、ちょうど穴から這い出したところで息絶えたモグラであった。なんかかわいそうだったので、古墳の側にモグラ塚を作って埋めてやった。ただ穴掘って埋めて石を載っけただけだけど。


F珍墳5選 03.2/24

今までベスト、ワーストの古墳を紹介してきたが、今回は珍墳について述べてみたいと思う。珍墳の定義はあいまいであるが、まあ普通の古墳と比較してちょっと違う点があれば珍墳となりえる。普通の古墳の場合、土饅頭があって石室があってたまにカマドウマがいて(しつこい?)終わりであるが、珍墳の場合それプラス「ギョッ」とするものが存在する。以下の5つはわしが勝手に選んだ珍墳5選である。

赤見市場古墳(栃木県佐野市)
ヤマポン氏の言う完全要塞型古墳。はっきり言ってどこからどう見ても古墳にはとうてい見えない。しかし通常、古墳のように見えない古墳には辛い点をつけるわしであるが、この要塞古墳にだけはちょっと違った意味で魅力を感じる。なんつーかこれだけガッチリと要塞化していると、なんか甲冑をまとった古武士のような風格があるのである。この後ふつうの田んぼ浮島型古墳を見るとちょっと軟弱そうに見えてしまう・・・。でもこの古墳って閉所恐怖症の古墳マニア(いるの?)が見ると、鳥肌たてて逃げていきそうな気がするなあ。

西坪3号墳(栃木県益子町)
この古墳はきわめて変わったところに位置している。写真を見ればお分かりであるが、道路脇の絶壁のところにいきなりポカンと石室が開口している。もちろん古墳が作られた当時は、ちゃんとした普通の古墳だったんだろうけど、道路工事と宅地造成で中途半端に残った哀れな古墳ではある。ところでこの古墳、石室までよじ登っていくのに相当苦労した。急斜面な上に地面は古墳特有のスカスカ土なのですぐ崩れて登りにくいことこの上ない。また苦労して石室の中にたどり着くと、中はアイスの空き袋とかのゴミが散乱していた。どうやら近所のガキんちょ達の秘密基地として大いに利用されているらしい。やっぱこういうのを見ると、いくら立派な墓を建てても、末路はこんなかんじ・・・人間の栄枯盛衰をまざまざと感じますな。

赤麻古墳(栃木県藤岡町)
この古墳の奥壁には謎の記号が刻まれている。この文字はこの古墳を作った人たちが刻んだものであろうか。もしそうだとするとその意味は?あるいはもっと後世の人たちが刻んだものであろうか・・・古代へのロマンは深まるばかりである。しかしながらわしはこの文字(記号?)を見たとき、ウルトラ文字を連想してしまった。そう、あのウルトラマンやウルトラセブンがピンチの時に発信して助けを呼ぶ、あのウルトラ文字である。しかしながらわしの印象ではウルトラマンの使うウルトラ文字よりもどちらかといえばウルトラマンレオ、アストラの使うウルトラ文字に近いという印象を受けた。もちろん特撮ファンの方から言えば、ウルトラマンレオの出身地はしし座L77星雲であって、ウルトラマンの出身地であるM78星雲とは違うのだから同じウルトラ文字として論議するのはおかしいという意見もあろうが、少なくともわしはそういう印象を持った。どうでもいいという意見もあるけど。

鶏塚古墳(栃木県真岡市)
この古墳は石室の入り口部に大きな木が生えているが、うまい具合に人の「股」みたいになっていてそこから石室内部に入り込むことができる。まさに自然の作った芸術品と呼ぶべき物であろう。ところでこの写真では赤い鳥居が古墳の周りに見られるが、(写真では1つしか見えないが、この他にも大小いくつかの鳥居がある)これらはすべてこの古墳のオーナーが自費で建てたとのこと。いくつもの貴重な古墳が消えていく中、こうやって古墳を大事に守ってくださる方がいるというのは大変ありがたいことである。であるからこのオーナーが鼻高々にこの古墳の自慢話をするとか、同じ話を何度も繰り返して話すとかいうことには多少我慢しなくてはならないであろう。

塚山古墳(栃木県宇都宮市 )
出ましたサイケデリック古墳。最初見たときさすがのわしも目が点になった。古墳をガーデニングで覆っちゃおう!という発想もすごいけど、そのデザインのセンスもかなりキているものがある。やっぱ宇都宮在住の前衛芸術家がデザインを担当したのであろうか。個人的には最初驚いたものの、よくみると古墳表面に規則的に植えられている丸いポンポンみたいな植え込みがなかなかアクセントになっていてかわいらしい。この塚山古墳の周辺にもいくつか古墳があるのだが、こちらの方は予算が足りなかったのか裸の剥き出しのままである(普通みんなそうだけど)。ぜひともこれらの古墳でもネオンサインを付けるとかして、塚山古墳以上のサイケ古墳にして欲しいものである。

G石室ベスト5 03.5/6


今回は石室ベスト5を選んでみたいと思う。

古墳探訪の醍醐味、それはやはり石室である。古墳とゆーものは、墳丘部分は長い年月が経っているため、作られた当時から比較するとかなり崩れたり修復してたりするので、当時の雰囲気をそのまま感じることは難しいが、石室だけは作られた当初の古墳職人(?)の息吹や労働者の苦労とか感じることができるので面白いのである。
そういうわけで今まで巡ったきた古墳のなかで、特に印象深い石室について述べてみたい。

第5位 八幡山古墳(埼玉県行田市)
現在古墳ムーディーズのトップページを飾っている古墳である。ここの石室の迫力は、写真をご覧になっただけでおわかりであろう。しかし前から思っていたんだけど、同じ行田市にありながら例の「さきたま古墳群」とこの古墳との知名度の違いはなんなのであろうか。絶対こっちの古墳の方がすごいと思うんだけどなあ。やっぱ「さきたま古墳群」の方は公園化してあったり、「はにわ処さかもと」のようにおみやげ屋があったりと総合プロデュース力で勝っているんでしょうな。ところでこの石室は年中なかに入れるわけではなく、石室入り口の柵が開いているのは日曜・休日のみなので注意が必要である。(最新事情は不明に付き行田市?に要確認)

第4位 伊勢塚古墳(群馬県藤岡市)
ヤマポン氏の言うプラネタリューム型石室である。ここの石室の石組みは、やや大きい川原石のまわりに、小さめの川原石が多数埋め込まれているといったものである。古墳の石室の石組みというものは、でかい岩を組み合わせたタイプか一枚岩を置いてあるタイプが多く、こういった川原石をたくさん組み合わせたものは結構珍しい。しかもこの古墳を作った棟梁は美術的センスに溢れていたようで、見た目的にも美しい。
栃木県足利市の足利公園古墳の中に第5号墳というメチャメチャ石組みが乱雑なヘボ古墳があるが、伊勢塚古墳を作った棟梁のツメの垢でも飲ませたいもんである。現在でも家を建てる場合、頼む建築会社によってひどい手抜きの工事をされて後で揉めるということを聞くが、やっぱり同じ人間、時代は違えど昔から同じようなことはあったのであろうか。

第3位 宝塔山古墳(群馬県前橋市)
ここの石室の特徴は、やはり見事な石材加工技術につきると思う。でかい石材をカッターかなにかで切り取ったようにスパッと切ってあって、それが一部のスキもなくビシイっと組み立てられている。ぱっと見た感じあまりに見事すぎて古墳という感じがしないほどである。なんか現代において復元された石室のように錯覚してしまう。どうやら古代の関東地方だけに限って言えば、群馬県、特に伊勢塚古墳のある藤岡市や前橋市のあたりは、特に古墳の築造技術にすぐれていたように思える。やっぱ当時は近隣に鳴り響く技術屋集団でもいたのであろうか。わしはまだ古墳の本場、近畿地方には行ったことがないが、そこの古墳の石室もこれくらいのレベル、もしくはそれ以上のものがあるのであろうか?ぜひ近いうちに出かけて行って、関東と近畿の石室の違いを見てみたいものである。

第2位 車塚古墳(栃木県壬生町)
ここの古墳の石室は、まずなんといってもその威風堂々とした入り口にある。まず天井石のでかさに圧倒され、石室に入る前からもう参りましたという感じである。ところでこのでかい天井石、正面から見ると細い縦の切り込みみたいのが2本あるけど、これはいったい何に使われたのであろうか?築造当時「これは誰それ大王の墓でーす」みたいな看板でもはまっていたのであろうか。文献を読んでもこの2本の切り込みについて考察しているものは見つけることが出来なかった。これだけは何なのか今でも頭の片隅にコビりついて離れない。ご存じの方がいらしたら、ぜひ教えて頂きたいものである。

第1位 観音塚古墳(群馬県高崎市)
恐らくこの古墳の石室の大きさ、すばらしさは関東地方で間違いなくベスト3に入るものであろう。(もちろん古墳ムーディーズのようないいかげんな評価ではなく、ちゃんとした学術的なという意味で)これだけ大きな石室を見ると、よくまあブルドーザーとか無い時代によくこんなでかい石運んできたよなあとか思ってしまう。ホントどうやって運んできたんだろこれ。この古墳は古墳と住民のふれあいを大切にしている群馬県らしく、柵もなく近所のガキんちょの遊び場として立派に機能している。我々が訪れた時も、地元の女の子集団が「洞窟探検だぁー」とか言って石室で遊んでいたが、「洞窟じゃねーぞ、石室だぞ!」と思わずヤマポン氏と一緒にツっこんでしまった。古墳マニアの悲しきサガと言えよう。

ところでここまで来て今回の石室ベスト5に共通した点があるのに気づかれた方はいるであろうか。そう、これらの石室にはすべてカマドウマのいない、乾燥した石室なのである。カマドウマのいる石室というのは、だいたい入り口が狭く、小型の石室が多い。狭い入り口を苦労して這いつくばって入ってみると、そこは暗くてジメっとした世界・・・懐中電灯に照らされてあやしく蠢くカマドウマ達・・・まあこれはこれで古墳の醍醐味ではあるけれど、残念ながらこういうタイプの石室はベスト5には入れなかった。さすがのわしもカマドウマ墳ベスト5!とかいうのは書く気にもなれんしね。


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