栃木県足利市@足利公園
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足利公園古墳は明治19年(1886)東京帝国大学の坪井正五郎により日本で最初の学術調査が行われた記念碑的な古墳で、日本の考古学発祥の地という肩書きが売り。公園の東にある八雲神社(説明看板2を参照)は森高千里の名曲「渡良瀬橋」の歌詞に出て来る神社で、「渡良瀬橋CD-ROM」にも映っている。 |
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第1号墳 |
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初代ガンダム世代としては、ついザクの頭部を連想してしまうような外観。下から見上げると大きく見える。 | ||
扉の左上に照明のスイッチがある | 川石を積んだ側壁が美しい | |
上から見ると小さくてややショボイ感じ | 北側から・渡良瀬川を望む(冬に撮影) | |
第2号墳 公園内でひときわ大きい円墳。大きいだけにただの山っぽく見える。 |
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画面の左右に見切れているのは7号墳と8号墳 | 2号墳中腹から8号墳と右の木陰に5号墳 | |
第3号墳 公園内で唯一の前方後円墳。全長約34mとサイズは中型。 |
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手前が後円部で左後方に前方部 | 逆アングル・手前が前方部で右後方に後円部 | |
間口は幅が狭い | 内部は意外と広い・面が揃ったチャートの石組み | |
第5号墳 見落としそうなくらい小さい。被葬者が急死でもして大急ぎで作ったのか、それとも単に古墳作りの棟梁がヘボだったのか、石室も非常に小さく、側壁もチャートと川石が実に乱暴に積まれていて、他と比較して明らかにやっつけ仕事が目立つ。 |
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鉄格子ではなく花崗岩の柱でツッカエ棒がしてある。 | 他に比類のない雑な石積み | |
第12号墳 端正なプロポーションながら石室がないために著しく面白みに欠ける。「石室有りは七難隠す」やはり石室はある方がいい。 |
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12号墳と付近に散らばっているチャートの石材(右)。古墳を作った余りの石か?それとも消滅した古墳の石室の残骸か? | ||
八雲神社と森高千里「渡良瀬橋」の情景 (BGMを開く→) |
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「今でも八雲神社へお参りするとあなたのこと祈るわ」 |
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八雲神社の裏山一帯に古墳が分布している | 完成間近の新築中の社殿・まだ足場が組まれている | |
「床屋の角にポツンとある 公衆電話おぼえてますか」 |
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電話は当時の物とは代替わりしてるらしい | 渡良瀬橋・北東から上流方向 | |
「渡良瀬橋で見る夕日を あなたはとても好きだったわ」 |
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橋桁は森高ファンのちょっとした掲示板になっている | 渡良瀬橋の歩道の上から見た夕景 | |
渡良瀬橋歌碑 歌詞の拡大写真 1993年の「渡良瀬橋」のヒットから早10数年、2007年4月末に、森高ファン待望の?「渡良瀬橋」の歌碑が完成した。やはり質の高い楽曲は歌い継がれるもので、2004年に松浦亜弥、2005年には後藤真希が相次いでカバー。そのおかげで?「何で今頃」とか、「遅きに失した」、といった違和感や不自然さを感じさせることもほとんどなくなり、絶好のタイミングを捉えて歌碑を建てたように思う。AM8:00からPM8:00までの時間は、歌碑の前に立つと、赤外線センサーが感知して、スピーカーから本家・森高版の「渡良瀬橋」がフルコーラスで流れる仕掛けになっている。渡良瀬橋から場所がやや離れているのがどうか?とは、正直感じたが、橋のたもとは、交通安全上無理だったのかな?やっぱり。 |
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歌碑と渡良瀬橋 | 歌碑・歩道側から | |
車道側から | センサーで感知して音楽が流れる仕掛けになっている | |
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